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時間は未来から過去に流れる [分類待ち]

 今回は、アビダルマという仏教哲学の「時間は未来から過去に流れる」についてである。いまいちイメージがわかなかったのであるが、苫米地英人氏がおもしろい例えをしている。⇒「参考記事:時間はどっちに流れる?ーごく私的宇宙観」

 流れている川に上流を向いて立っている自分を想像してみる。上流は未来であり、下流は過去。一般的には未来は過去の因果関係の産物だと考えられているが、このイメージだと一切関係ないことがわかる。

 だって、未来はただただ流れてくるだけなのだから。例えば、青いボールが流れてくる。それを拾うことができた場合、できなかった場合あるかもしれない。だが、次に流れてくる赤いボールを拾うことと何の関係もない。

 つまり、東京大学に入れなかったから、私は官僚になれなかったという因果は成り立たないというわけである。実際に、こういう思考に陥ることは人間は多い。

river_neko.jpg

 この例えで、もうひとつおもしろいことが発見できる。観察している人間は時間軸上では一切動いていないということである。そして、川幅は動くことができるのかも知れないこともわかる。

 さて、川幅とは何か?私が思うに今現在動くことができる範囲であり、自分が観察できるタイムラインの選択かなと思ったわけで。その行動次第で赤いボールを拾うことができるのかもわからない。

 そして、それをどこぞやでは「周波数」と言われているものかもわからないと思ったわけである。

 黒いボールが流れてくるところへ行く人、白いボールが流れてくるところへ行く人、そこで気付けば受け取るボールが変わる場所へ行ける。一つ言えることは後ろを見ても、大したことないのである。今しかないのだから♪(笑)♪((m(゚◇゚ )m))ウヒャヒャヒャー♪
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